インフォメーション

  1. >
  2. >
  3. 本音を言えない関係

本音を言えない関係

本音を言えない関係というのが、現実には案外あるんだなと占いをしていていつも思います。

特に、女性同士にはそれが多いようで、もちろん昨今は自立している人も多いのですが、それでもまだ、ご主人に庇護されている形の人が多いせいか、選んだご主人によって「勝ち組」「負け組」という価値観(これもまたどこで基準になっているかは人それぞれですが)が決まるような風潮がなんとなくあります。

「同窓会」とか「ママ友」など、本当に仲良し同士ばかりが集まるのではない、いわゆる「予定調和」みたいな形式の場所においてはどうも、ホンネはなかなかわからないものです。
同窓会は、学生時代と現時点を比べて、お互いの生活レベルをどこか比較しあうようなところがあるし、ママ友の場合は、子供の出来不出来や、ご主人の仕事や経済的な格差などを比べ合うために集まっているというような面がなきにしもありません。

だから、私はどちらも好きではないのですが、避けて通れないケースもありますね。ひとつには「いないところで何を言われているかわからないから不安で参加してしまう」ケースで、もうひとつは「人の事に興味がある」というケースでしょう。
ドラマの「BOSS2」の再放送を観ていたのですが、学生時代に目立たなかった主婦がブログで「カリスマ」というイメージを作り上げたために、そのイメージを守るために遂には過去を知っている人物や、本当はつくられたイメージにすぎないことがばれてしまうことを恐れて殺人まで犯してしまうという話でしたが、もちろんドラマなのでちょっと誇張した内容ではありますが、たまたまお金持ちのお嬢様学校に行っていたがために、その後の同窓会はもう、セレブ自慢のための会合になっていて、この主婦は嫌なら行かなきゃいいのに、やはり不安からか行ってしまう・・・というか、どこか、見返してやりたい思いがずっとあったのでしょう。努力して節約して、そして築いたカリスマの地位・・・それを一笑したために殺されたセレブも、あとからわかった話だとブランド物をレンタルしてまで同窓会に出ていたとか、完全に見栄の張り合いだったという非常に馬鹿馬鹿しいオチだったわけですが、こういうことは実際にありうるんだろうなと思いました。

別のドラマ「名前をなくした女神」はママ友のドロドロ・・・これもかなり誇張された話ではあるのですが、こういったものは、心理学好きの私は結構好きなのです。
「ママ友なんて一生のつきあいじゃない」とわかっていてつきあっているわけですが、う~ん・・・つきあわないと子供がいじめられるんじゃないかというような、暗黙の掟みたいなものがあるようです。実に怖いですが。
このドラマでは、やはり「お受験」が舞台でしたが、できのいい子が妬みから稚拙な母親にいじめられ、そのママまでいじめられるという、全くもって理解不能な世界だし、そのママはやり返さない優等生で、見ていて「ありえない!」と怒ってしまうような、消化不良気味のドラマになっていましたが、胸がすーっとする結末にしていただきたかったものです。

今日もあるセレブママさんを2人程鑑定したのですが、地域柄、お受験の盛んなところなので、なんというか、ママさんもみなさん優等生なのです。確かにお子さんへの愛情は豊かで、素敵な奥様なんですが、どこで気を抜いているのかなぁと、ずぼらな私などは逆にそういう人は「怒り」の感情をどのように吐き出しているのかなと思いました。一人の方は、本音を言える友達が数人いらっしゃるようで、まだはけ口を持っているし、感情をためこまずにいらっしゃるようでしたが、もう一人の方に至っては、「本音を言いすぎると距離感が保てなくなるので怖いから言えない」とおっしゃっていました。非常に自我を持った強い方ではあったので自分の問題は一人で解決できる方ではありましたが、これが、無理している方だったらものすごいストレスになるんだろうなと思いました。
そして、ブログでいつしかイメージが独り歩きしてしまい、それを守り抜くために病的になってしまったのが先の「BOSS」で松下由樹さんが演じていた主婦のケースですが、やはり、本音を言える関係というのがないと、人間はバランスをとれないだろうなとつくづく思いました。

他にも、自立した人であっても、社長とか自営業とか、人の上に立つような仕事の人もまた、弱音を吐く姿を見せられないため、いかに本音を言える相手がいるかということが案外カギになるし、こういう女性は意外と、主婦よりもピュアで、弱い面があったりするのです。自分の信じた道をまっすぐに生きているため、強かさはないのです。私の友人に最も多いタイプの愛すべき人が多いのですが。

私などどちらでもない単なるやくざな仕事ですから、ホンネも言いまくるし、張るような見栄などないので、弱い部分も出しまくるから、なめられてしまう傾向がありますが、表面的にニコニコしたり、言いたくもないお世辞を言うような会合はものすご~く苦手なので、できる限り遠慮しています。
「ママ友」の「○○ちゃんママ」なる言い方も嫌いです。なんで子供の名前を中心に呼び合うのか・・・
子供のママであっても、一人の人間として存在があるのだから、あくまでもその人の名前で呼び合えるような関係が好ましいと私は思っています。
まあ、子供が義務教育を過ぎればなくなる関係なんだそうですが、私にはよくわかりません。
そんな「期間限定友人」なんて私ならいらないので。
私は子どもが小さい時にも、自分自身が「魅力的だな」と思った人と友達になっていたので、その人に子供がいれば、うちの子と関わることもあったし、いない場合も、その人そのものと関わっているのであって、何か共通の「媒体」がなくてもつきあえました。
私は大好きなアーチストの追っかけもやっていて、そのファンクラブなどのつきあいもありますが、これがまた、「予定調和」で、ツアーのあるときに「しか」メールもしないような関係。そんなものは「友達」ではありませんが、その中でも魅力を感じた人とは普段からもメールをするし今でも本当に友達です。だからか、自然淘汰されていて、最近はもう、自分のもともとの友人を誘ってコンサートに行く方が楽しいし、「媒体」なしでは関われないような関係は必要ないなと思っています。
まあ、私がその辺のスタンスが明確すぎるせいで、もちろん子供が小さい頃は浮いていたし、情報も判らないケースが多かったですが・・・。

いいお母さんにはなれなかった筈だな・・・とは思いましたが、自分のことは二の次で、子供に誠心誠意、心を配れるって、やはり私には無理だなとも思ったし、それはそれで仕方がないなということも感じました。
でも、見栄の張り合いとか、そういうのは、まっぴらごめんだなとも思います。

普段の環境下ではなかなかホンネが言えないから、私のような職業のところに来られる人もいるんだろうなと感じたのでした。

いわゆる「賢婦人」も大変だなと、全くの不良主婦の私には、脱帽だけれど無理~とも思いましたし、彼女たちにはぜひともどこかでガス抜き(いわゆる「王様の耳はロバの耳~」)をやってほしいなと切に思いました。

»«